私の太平洋沖地震 その3

何だか帰宅難民になっていたのが遥か遠い昔のような気がしてきます。
その後の動きが激しすぎて判断力が低下している気がするなべです。

さて、その帰宅難民当日の話です。
会社から家までは渋谷経由の246をずーーーっと真っ直ぐ!
経路としては非常に分かり易いです。
会社に置いていける物は置いていって、けどPCはしっかり持って出発です。
そうそう、この出発直前に家と連絡が取れました!
かずもんもおバーバ様も姉も無事とのこと。
これでかなりホッとしましたね。
何時になるかは分からんが帰るから心配するなと伝えました。

ビル30階から非常階段を下りてみると街には既にたくさんの人が家を目指して歩いていました。
交番では道を尋ねる人が列を成しています。
赤十字の人が道路脇でお手伝いしています。
どこかの会社の人達でしょうか、道路に出てきて「休憩する方どうぞー!」と声を上げています。
何か思い出しただけでも…。

以下「帰宅難民時の心得」を思いつくまま箇条書き。

・復旧タイミング
結局用賀まで歩いた所で田園都市線復活をツイッターで教えて貰いました!
用賀→青葉台を1時間かけて電車で移動し、そこからまた徒歩で40分。
無事に家に着きます。
この素早い復旧には正直驚きました。
関係各位がどれだけ頑張ってくれたのか胸が熱くなりました。
震度6を超えない限り東京の鉄道は動いてくれる!

・食事
それほど時間が経ってないうちから、コンビニの弁当・パン・水はほとんどありませんでした。
自分たちは飲み物軽食は会社の自動販売機で調達したので問題ありません。
ただ、どうせ朝まで歩くんですから体力付けにしっかりした食事が必要になります。
牛丼は本当に大人気でどのチェーン店も行列でした。
自分たちは景気づけに焼き肉食ってビール飲みましたw
私はその店にあったテレビで初めて災害の状況を目にしています。
流されていく家を見て薄ら寒い気分になったのを覚えています。

・靴
革靴はダメ!
会社にはスニーカーを常備する必要があります。

・荷物
出来るだけ軽くするのが吉。
出来たら手ぶらが一番ですね。
ただ、水など飲み物を持つのでそれが不便にならないよう。

・情報源
携帯は全く通じずメールも送れません。
唯一ツイッターのiアプリが頑張ってくれて半分くらいの確率で繋がります。
情報はほとんどツイッターから頂きました。
固定回線は素晴らしかったです。
会社のネットは正常稼働。
無線LANが使える所であればPC繋ぐ事も出来たでしょう。
停電しちゃったらどうしようもないですけどね。
荷物の重さと鑑みると無線LAN搭載のスマホが最強のサバイバルアイテムですね。
携帯の携帯充電器(エネループのやつ)は大活躍でした。
家に到着する頃に燃え尽きましたが、感謝してるよ、君たち。

・会社力
うちの会社は結局何も決断せずに定時を迎えて三々五々解散という体たらくでした。
タクシーで帰った場合を聞いても「う~ん、今は決められないな~」だって。
今決めなくてどうすんの!?

家に着いてみるとかずもんはぐっすり夢の中。
横浜は停電していたらしく復旧まで6時間掛かったそうです。
そんなこんなで地震当日のお話しはおしまい。
今思い返せば、現在の状況に比べれば大したことなかったのかなーなんて思えて来ちゃいますね。